2012年10月25日

マリア・パウラ(千早瑞穂子さん)追悼ミサでお別れ

 今や裁判所速記官の必需品となった速記タイプ「ステンチュラ」の輸入に際し、米国ステノ社の窓口としてずっとずっとご尽力いただいた千早瑞穂子さんが急逝され、その追悼ミサが高輪カトリック教会にて執り行われました。「はやとくん」の会や「守る会」から7人が参列し、お別れをしました。
教会.JPG
 千早さんとは、'98年に速記官有志がステノ社(シカゴ)訪問時に、通訳として同行していただいて以来の長いお付き合いで、「はやとくん」フォーラムには毎回参加してくださっていたように思います。花子とは、ほぼ同世代の女同士であるにもかかわらず、いつも速記官のことを心配してくださったり、機器周辺にまつわる話題が中心で、プライベートなことは何一つ存じ上げないままのお別れとなってしまいました。

 追悼ミサにおいて、ただ一人の遺族となられた妹・真璃さんが述べられたご挨拶から千早瑞穂子さんのことについて少しご紹介したいと思います。

 瑞穂子さんは「聖心」にて学業を修められたのち、今で言うキャリアウーマンとして仕事一筋の道を歩んでこられ、生涯独身を通されました。特に企業名は挙げられませんでしたが、IT系の先端企業だったのではないでしょうか。正義感が強く、理不尽なことには、仕事上のことであるのに、我がことのように怒り、心配なほどでした。スポーツに親しみ、山歩きもよくし、最近は、スキーやゴルフも楽しんでおられたとのことです。
 米国出張でシリコンバレーに行ったときはレンタカーで自在に走り回るという、私には真似のできない姉でしたと話されました。

 急逝されたことに関しては、ジムでトレーニング中に倒れ、大動脈解離との診断で長時間にわたる手術が施され、一時意識が回復するまでになったけれども、その後、急変して帰らぬ人となられたとのことでした。
 突然のことでしたが、姉は美しいまま満ち足りた表情で眠りにつきましたと、結ばれました。


 教会にはご学友とおぼしき美しい方がたくさん参列しておられ、突然の死を惜しんでおられました。
 私たちも、真璃さんがおっしゃるとおり、我がことのように、様々ご尽力いただいた千早瑞穂子さんに心よりお礼を申し上げお別れさせていただきました。
 ありがとうございました。合掌
祭壇.JPG



posted by sokkikan at 14:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 今日の記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
千早瑞穂子さんの追悼ミサは,たくさんの方々が参加されて,千早さんのスーパーウーマンぶりを改めて実感することができました。
ミサが終わって,近くのレストランに速記官仲間で入ったのですが,隣に同じくミサから流れてきた千早さんの御同僚か御学友だったと思われる方々が大勢いらして,千早さんの晩年の御活躍として,電子速記のことを紹介してくれていました。
この15年ほど千早さんに随分助けていただいて,米国製の速記機械(ステノグラフ社製ステンチュラ)の日本版の製作や輸入が可能になりました。
最高裁の速記官政策にも,一緒に随分憤慨していただいて,ステンチュラの官支給実現に向けて後押しをしていただきました。
速記機械や裁判制度の専門的な難しい話を見事に通訳してくださるだけでなく,有能な秘書のようにビジネス的なサポートや助言をしていただきました。
お亡くなりになる3日前のメールが,千早さんの最後のメールとなりました。
ちょうどステンチュラの新しい機種WAVEについてステノグラフ社とやり取りしていたのですが,ステノ社に日本版の試作機を作ってもらって,試作機の使用レポートを千早さんに翻訳していただいた直後でした。

最後の最後まで本当にありがとうございましたと,速記官みんなの感謝の気持ちも込めてお花を捧げました。
Posted by Kimi at 2012年10月27日 15:54
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