2011年07月17日

「福島の先輩速記官からのお便り」紹介

ごぶさたしています。相変わらずお元気にご活躍のご様子、何よりです。

この夏に岩手山に登られた由、すばらしい山に感激されたことと存じます。
私も数年前に山の仲間たちと登ったことがあります。登山道は、歩き出してしばらくしてから零点五合目にたどり着くというとんでもない山でしたね。

また、資料をお送りくださいましてありがとうございます。(注・日本熊森協会会報くまもり通信67同封資料 元原発建設現場監督 故平井憲夫氏講演録のこと) 実はこの資料はあちこちに出回っているようで、私自身はだいぶ前に目にしましたが、その後、鹿児島の同期生が送ってくれたりしたこともありました。

せっかくの資料ですから、まだ見たことのない人に回したいと思います。


さて、とんでもない事態になりました。私は在職当時にこの原発の立地取消しの裁判に立ち会って、原子力のことは初めて耳にしました。退職後に県労連に出入りするようになってから原発に反対する住民運動にもかかわってきましたが、それはある意味長閑なサロンという按配でした。当時、この事態を予測した人は多分1人としていなかったと思います。


私は大震災から5日目、子ども達からせがまれて、一緒に山形県米沢市に自主避難しました。
アパートの2軒に8人で約3週間いてきたのですが、振り返ればその間、大変レベルの高い放射線が降り注いだようで、孫たちにはダメージが少なかったようで、よかったと思います。
もっとも、今年はあの時期はとても寒く、私は早々に風邪をひき、持病を悪化させました。私は避難生活は無理と痛感させられましたが。


現在、福島市を含めてこの辺りに住む人にとっては放射線の汚染は深刻な問題です。

未だ学会で定説のない事態を反映し、また行政が無知というか、未経験のために、いろんな人がいろんなことを言うので、何を信じたらいいか分からないという人が大勢います。学習会を開くと、どこでも満員の盛況です。

これからどのくらい放射線汚染と向き合うのか、まさに先の見えない日々ですが、原発事故そのものの収束が見えないのが最大の心配事であり、それが何とかならない限りは、復旧も復興も見通せない状況です。


そんな中で希望は、このたび福島県が「原発に依存しない社会づくり」を復興のテーマにして、脱原発を明確にしました。これを検討委員会に諮問したときの県の原案から大きく一歩踏み出し、脱原発を明確に宣言したのです。

あれだけの事故があったのだから当たり前のことですが、その当たり前が通用しないのが今の政治の世界です。

だれかが言っていたのですが、沖縄の基地問題を全国の国民は自分のこととしてなかなかとらえられない。だから、沖縄はたえず基地問題を発信し続けている。同様に、原発問題は福島から全国に発信続けることだと。


福島県の脱原発の考え方は福島県のホームページに掲載されていますので、ご覧願えればと思います。

これから一段と暑さが厳しくなっていきます。ご自愛を切にお祈りいたします。



posted by sokkikan at 08:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 今日の記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お便りいただいてからも、いろんな報道に接し、福島の子ども達のこと、心配で一杯です。
夏休みに入ったのを機会に遠くに疎開する学童のことも報道で知りました。第二次世界大戦の末期、次世代を背負う子ども達を守ろうと学童疎開が国策として行われたということ、身近に当事者がいるだけに悪夢再びとの思いです。でも、今回は国策ではなく、親としてのいたたまれない選択のようで、なおやるせなく、国の無策に憤りを感じてしまいます。
放射能汚染は、大人に比べ、子ども達に何十倍にもダメージを与えるということ、身震いするほどの恐怖です。


Posted by 花子 at 2011年07月21日 19:56
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