2010年04月15日

井上ひさしさん、逝く・・

いきいきとした日本語、地に根ざした日本語を深く愛し、井上作品の舞台は、何人もの井上ひさしが所狭しと飛び回っている世界でした。その井上ひさしさんが逝ってしまわれた・・。

実は井上ひさしさんは裁判所速記官制度を守ろうと、いち早く声を上げてくださった著名人のお一人でした。法廷の言葉のリストラを考える.jpg

まだ守る会が発足していない1997年1月18日、埼玉弁護士会と全司法埼玉支部が主催した催しで講演をされています。急逝の報にふれ、報告集をしみじみと読み直してみました。

約50分「聞き書きは、イワシの頭でするものか?」という意表をつく演題で、大変深い話をおもしろく語っておられます。 (「 」内は報告集から引用)

まず憲法の話から始められていて、「憲法と言いますと、私たちは『何かめんどくさい』と、ご存じのように憲も法もすべておきての意味ですから、『おきての中のおきて』という・・」ことになって「日常会話の中に憲法という言葉が入ってきますと、非常に緊張しますし、・・」。として憲法が日常に入り込みにくくなっているけれども、英語ではザ・コンスチチューションとなって普通名詞Constitution、構造とか本質を意味するものに冠詞がついて憲法となるところから、憲法を「〈この国の基本的なかたち〉というふうに言い換えますと日常の中に入ってくることができる言葉になる・・」と語っておられます。

その憲法の中で裁判は大きな柱だと続けられ、「国は客観的な判断人」というシステムの中で「裁判所の中におけるすべてのやりとり、言葉のやり取りというのは、これは完全に残しておきませんと、この事件が、更に上級の裁判所に行くとか、あるいは十何年もかかっていくとか・・」、「そういう逐語録の調書が、大変に重要になってくるわけです。」。

次々と話題は移り「速記官というのは実は神なんです。」「あっちにひいきするとか、こっちにひいきするんじゃなくて、その場で起こることを客観的に正確に写していくという神々のうちの一人なんですよね。ただし、この方々は、声を出さないんです。声出してたら大変ですよね、自分の声も打たなきゃいけないから(笑い)」「そういう声を出さない人に、まずしわ寄せがくる。」「ほんとに卑怯なやり方によって、速記官の方々が裁判所からいなくなる、」と怒りを率直に述べられています。

更に次々と国家論、日本語論が激流のごとく展開された後、「本当に大事な、私たちの権利を守る、権利を明らかにする、改めて明らかにする、そういう裁判所、法廷の記録を割と軽く扱おうという、そういう動きには、私は、ささやかですが全身を上げて反対します。」と宣言されました。

あれから13年、朗報を御許にお届けすることができないままの別れとなりましたが、井上先生が私たちに遺してくださった志はずっと引き継いでまいります、埋み火のように大切に。 
          


posted by sokkikan at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。